東北ツーリン2014 | |
第8日目 (宮古〜田老〜稲生川〜三沢へ) |
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2014.07.14 さあ、今日は三陸の海岸沿いに 北上の予定です 一番のポイントは”田老”です |
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先ずは宮古の北部へ来ました 草に覆われた更地が広がってました |
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仮設店舗の酒店がありましたので 店舗の前でコーヒータームです |
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見ると郵便局も仮設になってます | |
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お店の方のお話で 近々撤去の予定の 多目的の施設があるということで 見せていただきました |
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災害直後に 建築関係の学生たちが 泊り込みで造ってくれたものだそうです とても役に立った、思い出いっぱいの 建物だそうですが 短期寿命の設計でもあるので 移設を諦めて次のステップに 進むことを決めたそうです |
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教えていただいた 浄土が浜へ向かう途中 近くの海岸へ出てみました |
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大きな石碑の土台部分だけが 残されてます 周辺にも津波の爪あとが あちこちに残ってました |
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浄土が浜に到着です | |
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ビジターセンターになってました | |
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エレベーターで下に下りると 遊歩道が整備されてました |
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観光船も運航していて ちょっとホッとします |
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ビジターセンターの中には 津波に関する掲示もありました こうして過去の状況を把握することは 将来への構想にとても有意義だと 感じます |
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宮古を後にして北上! 田老に到着です ”祝三陸全線開通” の看板が 目に飛び込んできました |
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田老地区の様子ですが 国道の両側は更地になっています 遠景の坂道の上には民家が見えます |
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田老地区 土地区画整理事業 完成予想図 が掲示されてました 分かりやすいですね |
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国道に沿って残っている堤防に 登ってみます |
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右が内陸側で 更地の中にJFの建物が建ってます |
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堤防の海側は 漁港とその関連施設のエリアですね 更地の中に漁業施設の建設工事が 進んでました |
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その北側の丘に 居住用の宅地造成工事が進んでました 完成予想図に沿って どんどん前へ進んでる感じですね |
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漁港の方へ入ってみると 破壊された(?)堤防の跡のようなものが 目に入りました 水門の部分のようです |
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こちらは河口の水門のようですが その両側の堤防が 無くなっているようです |
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高台に上がってみようと 坂道を上ると ”三王岩展望台” とあります |
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見たことのある風景です そう ”こころ旅” でもやってた 地元に人には有名な岩ですね |
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坂の上から見た漁港です 漁港の奥(右の樹の後の方)は ほとんど更地のままです |
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ふと見ると新しい石碑がありました ”津波到達地” と記されています こんな高いところまで 津波がやってきてたんですね |
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坂道を下って更地を走ってゆくと 観光ホテルとある建物に出くわしました 1&2階部分は鉄骨だけになってました |
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田老を出て北上です 峠に道の駅があったので ランチです 様子を聞いてみると この先のグリーンピアの敷地内に 仮設の住宅があるとのことですので 寄ってみることにしました |
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この中に仮設住宅が 設けられています |
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こちらは仮設の商店です | |
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備品にも 多くの人の気持ちが込められてます |
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プランターには盛岡の中学校の名前が ありました |
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仮設住宅を出て 少し離れた集落の漁港にも寄ってみました 被害の状況はよく分かりませんでしたが JFの漁業施設が再建されてました |
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港から1kmほど戻ったところですが 土木機械が動いてました この少し上のあたりには 古い建物が残ってました |
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集落を出て更に北上すると 太平洋に大きく開けた湾のエリアに 出ました |
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このあたりも更地が広がっており ”都市公園事業整備工事” なる看板が掲げられてました |
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日差しがきついので 道の駅で小休止です |
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この道の駅には 三陸鉄道の”陸中野田”駅が 併設されてました |
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三陸を抜け 本日の第二ポイント”稲生川”に 向かいます 道の駅”ろくのへ” で小休止です |
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敷地内に旧家が移築展示されてました 興味があるので覗いて見ましょう |
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苫米地(とまべち)家の住宅とあります 六戸町の奥入瀬川流域に現存する 最古の住宅だそうで 江戸時代の後半に建築されたものと 推定されているそうです |
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囲炉裏とかまどが近接してますね 火がないととても寒そうです |
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いちばん興味を引いたのがこれ ”わら布団” です 当時の日本人の一般的な生活って どんなんだったのでしょうか? |
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やってきました 本日の第二ポイント ”稲生川” です 以前テレビ番組で紹介されたのを見て 是非行ってみたいと思ってたところです 今は公園として整備もされてるようです |
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ちゃんと歴史が記されてました 不毛の三本木原台地の総合開発に挑戦した 南部藩士 新渡戸一族の功績が 今に残るこの用水です |
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立派な用水ですね これを見てたら 上流に行ってみたくなりました |
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用水を遡っていったら こんな場所に出くわしました よく分かりませんが 穴状の横堰(トンネルのこと?)との 説明がありました |
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過ぎ横に、こんな水門もありました ここが用水の取水部でしょうか? |
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さらに上流に向かってみましたが 取水口らしき場所は分かりませんでした |
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引き返す途中に こんな石碑がありました ”山の神の石碑” とあります 稲生川工事の一番目の穴状の横堰が 完成し、仮通水の目処がたったときに 工事の安全を祈念して建てられてもの だそうです |
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山の脇のトンネル水路?の部分の 工事が大変だったろうと感じさせられました それを思うと この悠々とした水路の流れは 感激ですね ちなみに上流に水路が2筋(?)あった ようにもみえました |
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このあたりが不毛の台地だったとは とても思えませんね |
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牧草地と水田が並ぶ 珍しい光景が見られます |
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すばらしい光景です | |
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さあ、稲生川を後にして 本日の宿泊地”三沢” に向けて もう一走りです |
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三沢に入りました 米軍基地の回りはこんな広い農地です 夕食に中華料理店に入ったら 若い米兵のファミリーが ラーメンと餃子を楽しんでましたし 道路をロードバイクで走る米兵も よく目に入ります 皆、気を使ってか、目が合うと 挨拶してくれます |
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夕刻ですが ジェット戦闘機が離陸する爆音が 響き渡ってます それにしてもこちらの土は 真っ黒ですね |
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しばらく見てましたが 日が傾いてきたので 宿へ向かいます |
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本日の宿は ”ビジネス民宿” と銘打ってます 建物も新しくて なかなか居心地が良かったです |
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裏口が荷物の搬入に便利でしたので バイクは裏口側に置かせてもらいました |
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